8月28日に「天気の子 裏」でさんざん新海誠さんの悪口を書き、批判した。
その後、それを見た友だちに呼び出されて、説教を受けた。
「あの映画はな、おかしいと気づく前にいい音楽が流れたり、美しい景色になったりするんだよ!」
僕の夏美は必要なかったという意見には「彼女の中身は本田翼ちゃんなんだよ!」との反論が。
本田翼さんがでるならいい映画だなと思い直していたとき(ここまでで2時間ほど経っている)、秒速5センチメートルはなかなかよかったぞという話になった。
友だちはちゃんと?オチまで話したのだが、「桜の落ちる速さは秒速5センチメートル」という題意はとても面白い。
(この話し合いは本当はまじめな話が大半でしたよ。特に「映画もつまらないかのように書くな」と「神主の話を信じるのが普通だ」と言われたことは強く心に留まっています。)
いざ読み始めてみるとすぐに引き込まれた。
冒頭から明里と貴樹はイチャイチャしている。愛の言葉を交わし合うより、知識の交換をしている方が深い。
「桜の花びらの落ちるスピードだよ。秒速5センチメートル」
「ふーん明里そういうことよく知ってるよね」
「もっとあるよ。雨は秒速5メートル。雲は秒速1センチ」
僕はこのような会話が大好きだ。このまま付き合っちゃえよと野次ってしまいたくなるが、彼らはまだ小学生。
このあと彼らはずっとすれちがう。
中学になり、明里は北関東、貴樹は東京の中学に通うことになった。
離れ離れはつらいよね。しかし、貴樹は1人ではなかった。次の一文がとても、好きだ。
《それでもあれから5年の月日が経ち、僕はひとまずここまでは生き抜いてこられたのだと思った。》
この感覚は恋しているがゆえな気がする。
高校進学にあたり、貴樹も引っ越しをすることになってしまう。悲運な2人だ。
貴樹は明里に会いに行くことを決意する。東京から北関東なんて会えない距離ではない。
このシーンを細かく書いているところに感動した。
路線を確認し、乗り換えも計算し、明里に渡す手紙の内容も書かれている。
結局乗り換えが上手くいかず、手紙も渡せずだったが、貴樹の想いは伝わってきた。
準備が僕の中ではキーワードなのだが、これをしっかりしている、そしてしっかり書けていることに感動したのだ。
天気の子だったら、貴樹の準備シーンはカットして、時計を映して遅刻してるのを分からせたあと、駅員さんに「かわいい子を5時間も待たせるなんて」とか語らせるのだろう。
このシーンで貴樹が明里に無事会えるまでに10ページ以上は使っている。早く会いたい。会わせてやりたいと思わせるには必要な演出だったように思う。
まぁこのあと2人は密室でイチャイチャして、僕は嫉妬に狂いそうだったが、それも読書の醍醐味だ。
上に書いたのが、第1章だ。
しかし、僕が気に入ったのは第2章。貴樹に恋する女の子が描かれている。
「(私に)優しくしないで」は胸を痛くさせた。
第3章では大人になった明里と貴樹を描く。
ちょっと第3者視点で書くのが苦手なのかなと感じさせたが、ラストも良かった。
ここまで本書を楽しめたのには情報の制限があったのだと思う。
僕は本書の映画を一切知らなかった。
明里と貴樹の外見がわからなかった分、新海誠さんが好きな美男美女の恋愛にならずにすんだ。それは恋愛小説では大切なことだと思うのだ。
あとこれだけはどうしても言いたい。新海誠さんに届けばいいなと思うことがある。
新海誠さんはここまでの小説を書き上げる力があることを知った。
とても感動的な恋愛小説だった。これならば新海誠さんの映画のファン以外も読むだろうと思えた。
ならば、小説のタイトルに「小説」とつけるのをやめてもいいのではないかと思うのだ。
「小説 秒速5センチメートル」ではなく、「秒速5センチメートル」。
そうすれば、プロの小説家・新海誠として、世間に知られるのではないかと思う。
僕はきっと次回作も読んで、やきもきしたり、ここはこうした方がなどと言ったりするのだろう。
口うるさい僕ですが、これからもよろしくお願いします。