スーパーノヴァの読書日記

主に本について書いています。たまにドラマや音楽や映画についても語ります。気軽にコメントいただけたら幸いです。

天気の子 裏

「天気の子」 新海誠

 

初の連載となる今回は「天気の子」の問題点や疑問点が3つほど集めた裏編だ。

表で少しストーリーに触れているので、極力説明は省いた。

 

1つ目は伊坂幸太郎さんでさえ描かないような奇跡が多すぎることだ。

主人公の帆高は家出少年だ。彼が家出したときから宝くじに当たるより難しいような、彼に都合の良い展開が最後まで続く。それに彼は美人としか出会わないしね。

フェリーで東京に向かう際、アルバイト先の雇い主となる須賀さんと出会う。須賀さんの仕事と晴れ女ビジネスがつながる偶然。

帆高が東京で食べ物に困っていると、少女からビックマックを恵んでもらう。その少女が陽菜という晴れ女だ。その後、帆高は銃を拾う。銃が道に落ちていることなど、あってはならない。

後に陽菜がピンチの時に偶然出会い、助けることで仲良くなる。助けるためには事前に陽菜と会ってなくてはならないという発想は、とても陳腐だ。

帆高がバスに乗っているとモテモテの小学生男子がいた。それが陽菜の弟だったと後に分かる。世間は狭い。

帆高のアルバイト先には美人の夏美がいた。彼女のモラトリアムは本編と一切関係がない。美人の頭数が欲しかったのだろう。

夏美は取材で晴れ女伝説に詳しい神主から、この天気を治めるには天気の子を人柱として捧げるしかないと聞きだす。しかも、それを陽菜に伝える。

とても残酷な所業には夏美にサイコパスの嫌疑をかけざるを得ない。

そしてそれを信じる陽菜も帆高も「ムー」に侵されている。

散々書いたが、ここまではいい。偶然が過ぎても合理的な説明がなされないのは新海誠クオリティだ。

大問題は次の2つだ。

 

問題点の2つ目は僕が気になったシーンのスキップだ。

「お天気ビジネス」が波にのる中、帆高は陽菜に指輪のプレゼントを思いつく。

この発想はとてもいいと思うのだ。喜んでくれる可能性はあるし、常識からちょっと外れたプレゼントは若さゆえの選択かもしれない。

だが、帆高はプレゼントを何にするか悩んでいた。ヤフー知恵袋で聞いたり夏美に聞いたりしていた。

なぜ、悩んだ末に指輪をプレゼントに選んだのか気になる。

そしてどこで買うか、サイズはどうするか、デザインはどのようなものにするか、予算はどれくらいにするか、とても気になる。

しかし、帆高はそれらを全く語らない。店に行き、3時間のスキップだ。

さらに店員に「君、ここで三時間も迷っていたもの」と語らせている。

3時間悩む帆高を誠実な男に見せたいのはわかるのだが、帆高の行動を他人に語らせるやり方が、とても汚い。

なぜ書かなかったか気になるところだ。とても無駄なシーンだ。

ちなみに店で何を買うか悩む男は雫井脩介さん著の「クローズドノート」でも描かれているが、それは客観的かつ、細部へのこだわりを見せた上、相応のページ数を使って描くことで男にとってそれが、どれだけ大事なものかを描いている。

ここに雫井脩介さんと筆力の差が如実に表れている。

もう、はっきり言うが見せたいものだけを見せようとする新海誠さんのやり方にはうんざりしてしまった。

小説を読む人をバカにしている。アニメ的なものを小説にも求めてるんだろと投げやりに書かれているのではないかと思わざるを得ない。

あなたが書きたいものを書けよ、と言いたい。

帆高の心情全てをさらけ出せよ、と言いたい。

もちろん、これが僕の書きたかったことですと胸を張って言われたらあきれるしかない。

 

さて3つ目にはさらにプンスカしてしまった。

帆高は東京に来て、拳銃を拾い、それを使ってしまい、警察に追われるのだが、確保と脱走を繰り返すのが、どうもおかしい。

警察を穴だらけの最弱キャラとして描くのは山田悠介さんとも通ずるが、帆高には偶然出会いたい人と出会える能力が備わっている。

たくさんの人が偶然出会った帆高を助けるのだ。君はそんな施しを受けるほど、人を大切にしてきたかい?

僕のイライラMAXシーンの1番は警察に囲まれ、銃を向けられるシーンだ。

警察官は銃を持ち歩くことだけで大変なのにそれを子どもに向ける。これを指示した上官も謎だ。

しかもそのようにして、帆高を取り囲んだにもかかわらず、逃してしまう。仕事をしろよ。警察。

ドラマの相棒は警察に批判的だが、ここまでの大失態は流石に扱えないだろう。

この取り逃がし事件で上層部の何人かはクビになり、幾多もの警察官は出世の道が断たれただろう。

リーゼントの刑事をかっこよく描いたつもりなのだろうが、彼は今後仲間から無能だとバカにされ、更に左遷されるだろう。全然かっこよくない。

お前のわがままでたくさんの退職者がでるぞという怒りと、やはり新海誠さんの警察に追わせて緊迫感とスピード感を出そうという安易で読者をバカにした態度が気にくわないのである。

ちなみに帆高が逃げた理由は人柱になろうとしている陽菜を助けるためだ。

それはロビンを助けようとするルフィに似ているが、ルフィは20年以上もキャラを守り続けているし、大いなる力を持っている。

大いなる力には大いなる責任が伴うとはスパイダーマンでのセリフだが、帆高は無力な上に無責任だ。

彼によってクビになり路頭に迷う人がいるかもしれないと思うととても残念だ。

 

「天気の子」はたくさんの大人が関わり話し合いをした結果、できた映画だ。あとがきにも書かれている。

映画は観ていないので、映画に文句は全く無い。演出、映像美、音楽、どれも超一流なのだろう。

ただ本書はそれのノベライズ版だともあとがきにある。

映画をそのまま小説にしただけではないとも書かれているのだが、その結果が本書だ。

原作を知らないとはいえ、小説として優れていないのはすぐに分かる。新海誠さんには小説として素晴らしいものにするという気概が感じられないのである。

「角川に頼まれたから一応書きます」みたいな態度に見えてしまうし、警察が弱いのは、最近脱走の事件が多いことを揶揄する気持ちがあったのかもしれないなどと、余計なことを詮索してしまう。

結局、新海誠さんは造られた映像を小説にしているだけなのだ。

だが、著作に映像化した作品が多い荻原浩さんや五十嵐貴久さんらは違う。彼等は真摯に小説という媒体と向き合い、頭に描いた映像を文章で伝えてくれる。

新海誠さんには原作と全く違う小説作品を作るなどの気持ちを見せて欲しかった。

もう、決めた。新海誠作品は観ないし、読まない。だからもう悪口も言わない。

これを読んで不快になられた方、本当にすみませんでした。もうしません。

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