「A マスコミが報道しなかったオウムの素顔」 森達也
本書の紹介は正直すごく難しい。内容が内容なだけに筆者も相当苦しんだみたいだ。苦しみの詳細は本書のいたるところで表されている。
著者はオウムの中から世間を見つめるというテーマでドキュメント映画を作っている。本書はその書籍版だ。
それらはオウムを擁護している内容にもとられてしまいかねない。実際、警察から何度もいや何十回も職務質問を受けたことを明かしている。
時には内部の情報を教えてくれと頼まれることもあったみたいだ。
僕は地下鉄サリン事件が起きた時はまだ子どもで何が起きたかよく分からなかった。
父に話を聞いたことがあったが、それはもう大変な騒ぎだったらしい。地下鉄に乗るのが怖くなったとも言っていた。
何が起きたのか知りたい気持ちもあったが、本書では事件の詳細については一切取り扱っていない。それどころかオウムの内部で使っている専門用語も当たり前のように書いていてそれを説明もしていない。
書籍化してもなお、徹底してオウムの内部から世間をそして読者を見ている、ということの表れだと思う。
ドキュメント映像の作り方や著者自身の心境を詳しく書いていることもあり、所々に筆者のこの作品に対する思いが伝わってくる。
映像を撮っている時、会社をクビになったり、記者仲間からバカにされたりたくさん辛い目にあったらしい。
批判するには内容を見てからにしないといけないと思うのだが、オウムというだけで拒絶反応が起きていたらしい。というよりも、オウムに属する人間を悪者にしようとする風潮にあったらしいのだ。
僕が本書で一番心が揺さぶられたのは著者のフェアな精神だ。正直過ぎると言ってもいい。
一部を抜き出す。「ドキュメンタリーの仕事は、客観的な真実を事象から切り取ることではなく、主観的な真実を事象から抽出することだ。」やらせは全く悪いことだと思わないともあるし、公正中立でものは作れないともある。
ディレクターが撮りたいものが一番に優先されるのだろうが、僕の中でノンフィクションの読み方が変わりそうな気がしている。
警察がオウムの信者を明らかな冤罪で捕まえたときは警察はひどいと思ったし、一般市民がオウムの人たちには人権が無いと叫んでいるシーンからひどい事を言う人もいるものだなと思った。
しかし、それは著者に思わされているだけなのかもしれない。
いずれにしろ映像を文章で伝える作風を僕は好きだし、森達也さんの作風はなんか哀愁があるから好きだ。
そしてこれは僕の読者をする時のテーマなのだが、本は価値観の形成に必要だ。今までの持っていた価値観について、考えることができる、またはぶっ壊してくれる本は忘れることができない。
本書はそういう本になったと感じている。